2010年6月22日火曜日

ドイツへワインとワイナリーの研修を終えて【後編】

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ドイツへワインとワイナリーの研修を終えて

                           by  『一宝 天寅』  関 順
【後編】

ブロイヤーでお昼ご飯を御馳走になったあと、シュロスヨハネスベルグを経て、
カウターというワイナリーを訪れた。 

赤い皮のリースリングを造っている変わり種と事前に知らされいたが、小さなそのワイナリーに入っていくと、まさに風変わりなウエルカム・ゼクトでもてなしを受けた。
グラスの上にホワイトチョコレートが乗せられて供出されたそのゼクトはチョコレートリキュールを添加したゼクトだった。
私自身のコメントや他の参加者のコメントはひかえるが、みな十分大人で、興味深い表情を崩さなかったのはさすがヨーロッパの文化性だと感じた。

その日の夕食はカウタ―氏のワインのティスティングと同時進行で用意して頂いたが、なんと15種類 にも上るワインで、私の技量の範囲を超えてしまったいた。
思い出せるのは赤のリースリング は、ゲオルグブロイヤーの「ジュー」を彷彿させるものであったことと、最後に出てきたカベルネ ソーヴィニオンは深みや凝縮感に欠けたもので、その前に飲んだシュペートブルグンダーに比べる と満足感にかけるものであったことである。

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翌27日は最終日ということもあり、カウタ―氏訪問のあとは10名くらいでホテルのバーで打上げ(?)をすることになった。
前日から3班に分かれていたこともあり、我々のグループは 北欧諸国からのメンバーが10名程度、スペイン人2人、我々日本人という構成だったが、みんな 明るく社交的であったので楽しく、興味深い会話が楽しめた。

先ほどのデンマーク人が嬉しそうに サンブッカとアマレットを私のためにオーダーしてくれた。 丸4日間リースリング漬けの体には 初体験のサンブッカとアマレットは少々大変な飲み物ではあったが、時間をかけながらも最後まで 飲みほした。 

彼らEUで活躍中のソムリエたちとの短い交流で感じたのは、多少の個人差はある ものの、総じて彼らのレベルは高く、我々はかなり遅れているのだということだった。
これは私個人の経験、知識、技量の不足が原因であるが、EU内ではワインの価格も安く、また歴史的 文化的にもワインが深く人々の生活の中に密着しているということに起因すると思う。

今更議論 することではなく、また当然の話ではあるが、このことは日本人ソムリエだけのワイナリーツアーでは あまり感じることのないコンプレックスだと思った。
 
また彼らの多くは国境を超えて活躍の場を求めて おり、当然数カ国語を話すことができ、プレゼンテーション能力も非常に高い人が多い。

私のような底辺を構成するソムリエがもっとレベルアップしなければいけないと強く感じさせられた。
とにかく、この日は深い眠りに落ちそうになりながらそのようなことを考えた(ように思う)。

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最終日は朝からナーエ地区、ディールに向かう。 
マインツからでも30分ほどで到着した。



小さいながらも洗練されたワイナリーの建物の印象から、自然とワイン自体への期待も高まった。
すぐ裏手の庭に案内され、そこでモーゼル地区へ訪れていたグループと再合流した。 

歴史を感じる 建物と現代風の建物、よく手入れされた芝生の庭でもてなされたゼクトはコメントの必要が無意味なほど 素晴らしかった。

ほどなくして始まったティスティング・セミナーで提供されたリースリングは期待通り 垢ぬけた、すっきりとしたワインであった。 スタンダードクラスから格上のものまで総じて品のいい バランスの良いワインが造られていた。

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ディール訪問が終わると我々を除くすべての参加者が空港に向かった。 
我々二人はそこからラッツェンベルガーを訪ねた。 

ゲオルグブロイヤーの畑もディールの畑も 足を滑らしそうになるほど勾配がきつく、「手伝ったらしんどいだろうなぁ」と感じていたのだが、 バハラッハ村の入り口あたりから見えた、壁にも見えるぶどう畑をみて絶句した。 
(または ぶどう畑に見える「何か別のもの」かとさえ思った) 



近づけば近づくほどそのぶどう畑はまさに 崖そのもので、その時点ではそれがラッツェンベルガーの畑かどうかもわからなかったのだが、ぶどう 栽培の北限に近いところでのワイン造りの厳しさというものを感じた。

やがてラッツェンベルガー 氏の案内で、それらの畑がやはり彼の所有する畑であることが分かったのだが、斜面の下から みた畑より、上側から見下ろしたその畑はさらに急な斜面だった。
足を踏み入れてみようにも 余りに斜度がきつく、落ちたらケガをしそうな斜面の上では足がすくむ思いだった。

反面、丘の上から見下ろすライン河の美しさは形容しがたいものだった。



紀元前からローマ人に よってワインが造られていたというラッツェンベルガー氏の説明には、彼のその村への愛情の深さと 誇るべきバハラッハ村の歴史に対する敬意を含んだものであった(ように思う)。


ティスティングは我々二人だけのために行われた。

QBAのクラスから始まったティスティングは さすがにどれも素晴らしいものであったが、ひとつだけ、生意気にも、ラッツェンベルガー氏の考えに 反対の意見を持った。

グローセスゲヴェックスのリースリングは06年と08年が供出されたのだが、 氏は06年のほうがテロワールを反映した、より完成に近いものだと言うのだが、私には 08年のもののほうが若いワインらしいしっかりとし酸と高い果実の凝縮感のバランスが「分かり やすい」と感じた。
日本では高価なワインとなるグローセスゲヴェックスをより多くの人に評価 してもらうには若いうちに飲んでしまったほうがいいと、全く素人的なことを申し上げてしまった。
失礼と思いながらも、その考えは訪問以前から変わっていなかったので、申し上げることにした。




夕食は奥様の手料理をお庭で頂戴した。 

1971のシュペートレーゼ・トロッケンから始まったのだが、 これは全く期待もしていなかったサプライズだった。 正直なところガイゼンハイム大学で飲んだ 1946よりも状態も良くうっとりするほどの味わいで、まだまだ若さと気品を感じさせるリースリング の奥行きの深さに驚かされた。

その後奥様と二人のお嬢さんが少しだけ顔を見せてくださった。 ラッツェンベルガー氏のご両親も御健在で、お二人も少し前にお顔を見せてくださった。

そういえば、 夕食の最初の71年のリースリングはお父様の作品なのだなぁと気づく、自分の頭の鈍さを恥ずかしく思った。ドイツでも3世代の同居はあまり多くはないらしく、ラッツェンベルガー家は特別だと別のドイツ人からきいた。 

造り手の優しさがワインにも滲み出るのかなと思った。


(完)

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関さん、素晴らしいレポートをありがとうございました。


2010年のバイザグラスキャンペーンにおいても、上記のようなドイツ研修ツアーが、優秀店(ドイツ賞)の代表者2名に贈られる予定です。

ドイツ研修ツアーを目指して、ぜひ頑張ってください!

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